オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

オタク VS 児童本

渋谷宮益坂の路地に佇むビルの3階に『森の図書室』はあった。チャイムを鳴らすと無機質なドアが開き、本棚が現れる。その本棚ごと横方向にスライドし、店内が露になった。

「いらっしゃいませ」

控えめに扉を開く店員さんにオタクは恋をした。ガチ恋である。詳細な描写は控えるが、一般的に『美人』に部類される女性であったことは確かである。オタクは大いに慄き「あの、開店時間12時ですけど入っていいですか?」キョドりながらもなんとか発声に成功する。店員さんは訝しげにこちらを眺め、「もう12時ですよ?」とだけ言い、店内へ戻って行った。腕時計を見ると12時30分である。オタクは興奮すると時計が読めなくなることがここで発見された。オタクは「アッ、スミマセッ……」と情けなく後に続いた。

 

ランチタイムは12時から17時までフリードリンク1000円と、欲しい人は軽食500円を注文できるシステムらしい。ランチメニューはどれも小説の中に出てくる料理ばかりで、作品名と著者が説明書きされている。ご存知の通り筆者は文盲であるが、唯一元ネタがわかったラピュタトースト』をかろうじて注文することができた。しかしよく考えると筆者は目玉焼きの黄身が苦手であるため、後々店員さんの笑顔とラピュタトーストの狭間で苦悩することとなる。

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(↑普通に美味しかったラピュタトースト)

 

店内の様子はというと、壁という壁に本が並べられており、自由に手に取って自由に読んでください、といったかたちであった。中でも興味深いのは、カウンターに近い壁に置かれた本棚で、これは全て森の図書室会員が置いていった『自分の一番好きな本』であるという。筆者の敬愛する森見登美彦氏の作品もあったし、行政法ガール』なる、数か月前まで筆者を苦しめた文化物もあった。本当に雑多である。

店員さんは、筆者に危険性がなくむしろ自分より弱いオタクであることに感付いたらしく、懇切丁寧に説明を加えてくれた。「この『モモ』っていう児童本、みんなお気に入りみたいで、6冊くらいあるんですよ」彼女が手に取った文庫本には既視感があった。

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筆者は思い出した。これはその昔、教育学部を専攻している友人に薦められた良書であることを。筆者は文盲であるが本を読もうという意思だけはある。そんなオタクでも読める本はないかしらと、割と大声で主張しそこら辺を練り歩いていた時期があり、公害と化した筆者を見かねて友人氏が助言給うたというわけである。しかし筆者は億劫がりなので、折角の良書に手を伸ばすことなく徒食に日々を費やしていたのである。まさかこんなところで巡り合えるとは。

 

時間の関係上読破することができなかったので、本のレビューは今回はしないが、『モモ』を読んでいると気づかされることがあった。それは『児童本』の魅力である。筆者は時たま小説を読み、ミジンコほどの知見から内容にブツクサと言っているが、それは読者が成熟した読者であることを前提として、作品の構成を俯瞰しているからである。

どういうことかと言うと、『モモ』のような児童本の場合、読者が児童であるため、論理的、経験的、一般的整合性のようなものがなくとも許容される。つまり、強引な展開でも「児童向けだから」と、突っかかりなく読み進めることができるのだ。この特性がどのような影響をもたらすかというと、世界観に深く、早く入り込むことができるようになる。普段は「著者絶対童貞だろ」だの「いやそうはならんやろ」だのと文句を垂れ流しながら読書をしている筆者も『モモ』の前では貪欲に先の展開を探求する児童と化していた。

 

そして気が付けば時間となり、美人の店員さんに導かれるまま渋谷の路地に追い出された。『モモ』を手にしていた感覚が忘れられず、例に漏れずハイカラな若者たちの間を縫うように駅に向かった。児童本。恐ろしいジャンルである。泥棒に時間を奪われたような感触が今でも少し残っている。