オタク自省録

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読書記録 太陽と乙女

筆者が尊敬してやまない小説家は森見登美彦氏である。筆者の文体の8割方は森見登美彦に影響されているし、このような場所にしょうもない記事を垂れ流すことを良しとするオタクになり下がってしまったのも彼の影響と言えるだろう。そんな彼のエッセイ集が発売された。それが『太陽と乙女』である。

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ここで敢えて先に宣言しておこう。筆者は当該書物を3か月に渡って拝読を続け、ついに読み終えることが能わなかった。敬愛する作者の著作物を読破できないとはいったいどういった用件なのか。そのことについて記述していく。

 

まず第一に、森見登美彦という小説家の特徴を確認したい。彼の武器は『陰キャの京大生』である。それ以外に小説家としての武器を持たないといっても過言ではない。彼の著作物を読んで筆者が面白いと感じるのは主人公が陰キャの京大生である作品のみである。処女作の太陽の塔、アニメ化された四畳半神話大系、映画となった夜は短し歩けよ乙女、どれもこれも陰キャの京大生を中心とした作品だ。それから『恋文の技術』という書簡体小説だとか、『美女と竹林』という主人公が『登美彦氏』である真実とも嘘ともとれない日記だとか、これらもやはり陰キャの京大生

これらの作品の主人公はそれぞれ別人として描かれてはいるものの、理系の大学生で留年及び浪人を経験している、高嶺の花ともいえる黒髪の乙女を追いかけまわしている、尊大な自尊心を持つが自身の実態がそれに全く対応していない、詭弁をこねることに関しては天賦の才を持つ、などの特徴が共通しており、つまり森見登美彦のひととなりそのものである。一方では紋切り型と批判を受ける森見登美彦の作風であるが、好む人にとってはこの上なく面白い。そんな森見登美彦(=元陰キャの京大生)が書き下ろすエッセイが面白くないわけがない。期待に胸を膨らませ書店へ向かったのが12月の出来事である。

 

ところが本作品の内容は、筆者が想定していたものとは大きく異なっていた。本作品は、森見登美彦氏が好みの本やら映画やら場所やらについて、論評を加えたものである。つまり、諧謔的要素が極めて少ない。それは当然のことで、人様の作品に物申す際に、陰キャの京大生を登場させ自虐に自虐を重ねるなど、それはもはや筆舌に尽くしがたい狼藉であり、愚の極みである。

陰キャの京大生を読みたかったのに、割と真面目な文章が書かれている。落胆を覚えずにはいられなかった。陰キャの京大生を奪われた森見登美彦氏は徒手空拳に等しい。当然、筆者をはじめとするそこいらのしょうもない物書き風情よりはよっぽど素晴らしい文章を書くのだが、やはり彼が最も輝くステージは、黒髪の乙女と陰キャの京大生がいる似非京都であろう。

 

とはいえ、森見登美彦氏の作品群における執筆背景などが記されていたのは興味深かった。そして当該エッセイ集は『床に就いて読むのに相応しい本』として森見登美彦氏が執筆したものらしい。冒頭に『面白い本では熱中して寝ることができず、つまらない本ではそもそも読む気になれない。そこそこ面白く適度にキリの良い本が就寝に最も適している』というようなことが書かれていることから伺える。

そんなわけで、登美彦氏の要望通り、寝る前に拝読することを続けたわけなのだが、思い返せば筆者は文盲である。読もう読もうと意識は先行するも、流れるような縦文字を目で追うことも、認識した文字列を脳内で解釈することも能わず、気が付けば意識が夢中へと沈殿してしまっていた。翌朝目を覚ますといったい自分がどこまで読み進めたのかさっぱり記憶になく、結果として同じ項目を二度も三度も読み返しているようである。

 

いつかは読破したい。その思いだけは沈ませないようにしたい。