オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

オタクと焼肉

筆者の友人にオタクは意外といない。いち大学生として学内あるいは社会的ヒエラルキーの上位に立つことを良しとする筆者は、普段パリピに擬態して生きている。しかし、女子高生を崇拝しているなどといった本心を抑圧してまで付き合う人間関係はプライベートまで至らず、筆者が誰かしらと行動するときは大抵オタクを呼ぶこととなる。すなわち、筆者の周囲には、筆者により選定されし選りすぐりのゴミオタクが侍っているわけである。

 

本日七輪を挟み筆者と対峙している彼もまたオタクである。当ブログでは『仙人と天狗と関西弁のおっさんを足して割ったようなオタク』と描写したことがあり、筆者も彼もその表現をひどく気に入っている。そんな彼は今日もまた焼肉屋に颯爽と出現しては「荒んだ人生にしたい」「論理の解体を目指したい」「楽しくない仕事をしたい」などと藪から棒に荒唐無稽な主張を振りかざす。

 

「人生をつまらなくしたい」

 

それが彼の主張らしい。凡そ大多数の人間が同意しかねるその志にどう反応すればいいのか困りものではあるが、「はぁ」と、相槌を打っておけばあとは勝手に喋りだすのがオタクである。

「俺はつまらん会社に入って、つまらん仕事をして、つまらん顔してひとり家に着いてアニメを観る人生がいい」

オタクは豚タン塩を金網にかけて言い切った。

「なんでそれがいいわけ?」

筆者の当然の疑問である。

「だからね、俺は楽しい人生を送ってる奴が嫌いなの。というか、楽しい仕事?のようなものができる気がしないわけ。だったらもう人生つまんないことだらけで埋め尽くして荒むところまで荒みたいよね」

そういうオタクの瞳は真剣そのものである。繰り返すが、彼の主張に同意できるところは一つもない。筆者は一般人類であるので、快楽を好み苦楽を避ける性質を持つ。よって日々は楽しいほうが良い。未来の快楽のためなら現在に多少の労力が必要だとしても厭わない。それがおそらく人類共通のコモンセンスであろう。しかし目の前のオタクは七輪の上の肉を摘まみ上げ飄々として言うのである。

「俺はオタクだから、陰湿な仕事場と家の往復で人生を費やしたい」

迷いのないその声に説得の余地はない。というより、オタクに対して説得行為は無意味である。リア充が対外的コミュニティの形成維持をする生き物としたら、オタクは内向的に自分の世界を構築増強する生き物である。彼らひとりひとりに自分の世界があり、その世界観に沿った行動をとる。

「オタクってほんとおもろいよなぁ~」

ネギ塩カルビを頬張る筆者もまたオタクであり、通俗的観念から大きく逸脱した内向世界を持つ。筆者は自らのことを学術的なオタクと思い込んでいる。学術的なオタクとは、悪趣味な己の世界観を正当化するために、あらゆる学術的文化的含蓄をこねくり回して詭弁を振るうオタクである。そのようなオタクが、筆者は好きである。

 

「おもろいじゃなくて、お前もオタクやろ」

「違うゴミオタクや。お前らと一緒にせんでくれ」

「お前も俺らと同じや。人生をつまらなくしようや」

 

繰り返される問答は意味を成さない。店員によって運ばれてくる動物性蛋白質のほうがよっぽど有意義である。多くの場合において、オタクと会話することに生産性は一切ない。それは、互いに自分の世界の断片を体内から取り出して投げつけ合っているからである。しかし、投げつけられた当人はまた別の世界の管理者たる創造主であり、唯一神的宗教的指導者である。ということは、オタクの問答は宗教戦争に等しいということになる。本日の主戦場は七輪。そこでは金網の戦いが行われていた。

 

「みたいなことを記事に書くんやろ?」

と訊かれたので、「気が向いたら5割くらい捏造して書く」とだけ返しておいた。