オタク自省録

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読書記録 火花

文章から読み取れるように、筆者はどこか文学的価値のある文字列を所望して生活している。しかしこれはひとえに、なんとなく崇高な理念を掲げて己の体裁を捏造しているに過ぎないので、いわゆる純文学は筆者に相容れることはない。

そこで、文学作品の代名詞である芥川賞受賞作品に触れてみようという運びになった。筆者が愛してやまないB級小説から一歩踏み出してみようということで。そして手にしたのが『火花』であった。

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お笑い芸人が芥川賞を受賞したとして、一時話題になった一冊である。筆者も気になってはいたのだが、芥川賞=文学という固定観念にとらわれ、「なんとなく怖いなぁ」と手前勝手に慄いていたところである。

物語は、ピース又吉的パッとしないお笑い芸人と、真の『お笑い』を追い求める先輩芸人の二人を軸に進んでいく。ピース又吉は、笑で飯を食っていくことの難しさに打ちひしがれながらも、先輩芸人のお笑いに対するブレない姿勢に救われたり、時に呆れたりしながら生きていく。そんな感じである。

 

文学の正確な定義は不可能とも言われているが、文学作品は一貫して『終わりがない作品』のように思う。明確なハッピーエンド、あるいはバッドエンドがない。もちろん火花も例外ではない。

先輩芸人は『笑とは何か』を追求するあまり、客観的な評価を無視するようになり、結果として世間や他の芸人と感覚に大きなズレが生じることとなる。それでも又吉は先輩を尊敬し、どこか畏れ、あるいは侮蔑し続ける。彼らの内面の動きにのみ着目すれば確かに起承転結はあるが、それが具体的行動に転化するところは小説内で描かれていない。文学とはそういうものなのだろう、ということにしておく。

 

しかし本作品は文学作品にしてはかなり読みやすい。著者がお笑い芸人であることや、時代的にごく最近の文学だからということもあるだろう。以前、太宰治『斜陽』を拝読したことがある。確かに地の文に見たことのない語彙が散りばめられていたり、一風変わった表現技法があったりと、明らかに文学的な価値を有する小説であったが、如何せん読みづらくてかなわない。それと比べると雲泥の差である。筆者の如き文盲でもすぐに読破できた。

 

以上が火花の感想である。今回も真面目になってしまって後味が悪い。早々に書き終える。