オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

パレスチナ問題2

それではパレスチナ問題の続き、中東戦争を見ていこう。

前回のおさらいをすると、イギリスにまんまと騙されたアラブ人ユダヤどちらがパレスチナを手にするか、ということで抗争を始める。

この抗争は中東戦争と呼ばれ、現段階では第四時中東戦争まで起きている。第五次中東戦争が起きるのかどうか、ということはド素人の筆者にはわからない。

 

第一次中東戦争(1948~49)
別名パレスチナ戦争とも呼ばれる初めてのアラブ人とユダヤ人の戦争。この戦いはユダヤ人側の勝利で終わる。というのも、ユダヤ人のバックにはイギリスフランスがついているのだ。列強であるこの二国はユダヤ人国家建国という方針でパレスチナ問題を解決しようとした。アラブ人とユダヤ人が争おうというものなら当然ユダヤ人側に付くだろう。

この戦争の結果。当初ユダヤ人が領有するはずだった領土よりさらに多くの領地をユダヤ人の国土として定めたため、その新たに定められた領土で生活していたアラブ人たちは立ち退きを余儀なくされた。彼らの総数は百万人以上とも言われ、これが俗に言うパレスチナ難民である。現在にも続く問題の一つだ。

 

第二次中東戦争(1956)
1956年、アラブ人国家エジプトの大統領ナセルスエズ運河国有化を宣言した。このことがきっかけとなった戦争のため、第二次中東戦争スエズ戦争とも呼ばれる。スエズ運河とは、1869年にフランスが紅海と地中海を結ぶ運河を新たに切り開こうと作り出した人工運河である。これにより、地中海から紅海を通じてインド洋へ一直線に出向くことができるため、この航路は歴史的にも非常に大きな価値が有る。

f:id:soa_wing:20180123020548j:plain

(↑スエズ運河の参考図)

そんなスエズ運河はそもそもフランスのものであったが、イギリスがそれを買収してイギリスのものとなっていた。確かにスエズ運河はエジプトの国土内にあるのだが、それを突然国有化するとは一体何があったのか。これを説明するにはアメリカとソ連の冷たい戦争である冷戦に言及する必要が有り、少々説明過剰となってしまう。

そのため、ここでは簡単に説明しておくと、イギリス、フランスはアメリカのグループだった。元々イギリスの植民地だったエジプトもアメリカグループだったのだが、ナセルが大統領になってからはソ連グループに接触する動きがあった。エジプトがソ連側につくことを恐れたイギリスフランスはエジプトへの投資を中断。すると資金集めのためエジプトはスエズ運河を国有化し通行料で稼ごうとした。こういうわけである。

とはいえ、イギリス、フランスも国際連合に所属している以上、迂闊にエジプトに手は出せない。どうしよう……と思っていた矢先、突然イスラエルユダヤ人)がエジプトに攻撃を仕掛ける。それを見た英仏は待ってましたとばかりにユダヤ人国家のサポートという名目でエジプト出兵。エジプトは負けてしまうのか、と思っていたら世界の二大親分のアメリカソ連「お前らええかげんにせえよ」と、戦争を中断するよう呼びかける。こうしてエジプトは一命をとりとめたのであった。

 

第三次中東戦争
6日で終わった戦争のため六日間戦争とも言う。今回もまたまたユダヤ人側がアラブ人側に攻め入り、戦争が始まったのだが、今回はなんとシナイ半島を全てユダヤ人が奪ってしまった。地図で確認すればわかるが、結構でかいぞシナイ半島。というか、第三次はそんなに書くことない。てか、飽きてきた。

f:id:soa_wing:20180123020910g:plain

(↑シナイ半島の参考図)

 

・第四時中東戦争
別名十月戦争。しかしこの名前は結構マイナー。第四時中東戦争第三次中東戦争で奪われた領土を取り返すべく、今度はアラブ人側がユダヤ人側に攻撃を仕掛ける。だが、例のごとくユダヤ人のバックにはあの強いイギリスフランスがいる。普通に戦っては勝てない。そう思ったアラブ諸国アラブ石油輸出国機構という、石油の輸出を取り決めるアラブ諸国の組織に協力を要請し、石油戦略を展開する。具体的には、ユダヤ人の味方する国には石油わたしてやんねーよwww」という内容である。これによって引き起こされたのはかの有名なオイルショック。世界中の石油価格が高騰し、世界経済は大混乱を招いた。これにはさすがのイギリスフランスも苦戦を強いられたが、結局最後はユダヤ人側がゴリ押して勝ってしまいました。はい終わり。

 

とまあ、ダレ気味で書いた中東戦争史だが、第四次が終わってようやく両者の歩み寄りが始まった。エジプトのサダト大統領ユダヤ人国家イスラエルのベギン首相エジプト=イスラエル平和条約を締結する。しかし、サダト大統領は和平に反対するイスラーム原理主義者に暗殺されてしまう。つまり、味方であるはずのアラブ人のうちに、「和平?生ぬるい!!イスラエルは我々のもんじゃい!!」と叫ぶ者がいたということである。その後もパレスチナ暫定自治協定が調印されるも、この調印に携わったユダヤ人側首相ラビンがこれまたユダヤ人に暗殺される。両者の間には民族性に関わる深い溝があったのである。

その後、パレスチナ問題は依然として解決せず、人類が抱える未解決問題として時を重ねている。