オタク自省録

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パレスチナ問題1

 

本日のお題:パレスチナ問題について詳しく書き散らせ(迫真)

論述問題っぽくしてみると:現在に通じるパレスチナ問題の原因となった条約や宣言に言及しつつ、中東戦争の経過と現状を論じよ

大学受験を目の当たりにした当時の筆者の解答はあとでまとめます。

 

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(↑パレスチナの位置の参考図)

さてさて、それじゃあ初めていきます。まずパレスチナ問題。現在でもよく聞く言葉だと思われる。パレスチナとは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸をつなぐ部分の西側、つまり地中海側の地域(国家的にはシリア)のことを指すわけだが、ここでは一世紀前くらいからアラブ人とユダヤ人が喧嘩を続けている。ではなぜ喧嘩が起こっているのか。一言でまとめると

 

ブリカス(イギリス)のせい

 

これに尽きる。

それじゃ史実に乗っ取り詳しく見ていこう。まず事の発端は第一次世界大戦勃発直後のイギリスとアラブ国家のお約束であるフセイン=マクマホン協定(1915)に遡る。この協定は第一次世界大戦手伝ってくれたらパレスチナあげるよ^^」と、イギリスがアラブ諸国に対して言った、という内容である。

そもそもアラブ諸国はその昔、7世紀にムハンマドイスラーム教を開いてからというもの、小アジアを中心として聖戦(ジハード)を語り領土拡大を繰り広げてきた民族である。そしてその時に獲得した領土にパレスチナがある。だがしかし、イスラーム勢力は長い歴史の中で分裂や抗争を繰り返しており、ヨーロッパ諸国が世界各国に植民地を設けるために侵略戦争を繰り返す時代帝国主義時代)には見事弱体化しており(産業革命が来ていなかったため技術力不足もある)列強の侵略を防ぐことができずにパレスチナを奪われてしまったのである。

 

アラブ諸国はとりあえずおいといて続いてのイギリスの行動はというと、バルフォア宣言(1917)である。これは、ユダヤに対して第一次世界大戦手伝ってくれたらパレスチナに住んでいいよ^^」と申し出たのである。

ユダヤ人は紀元前数世紀の大昔、パレスチナに住んでいた。しかし新バビロニアという王国の侵略を受け見事崩壊。ユダヤ人たちは新バビロニア王国に幽閉され惨めな生活を送る。(バビロン捕囚)そこから脱出し、神との約束の地、そして同時に故郷でもあるパレスチナに戻ろう!とパレスチナに向かうのだが、実はこの過程でユダヤ教が生まれたりしている。

しかしパレスチナに帰ったところで元の国家があるわけでもなく、その後ユダヤ人は各地へ散り散りとなる。その多くはヨーロッパへ向かうのだが、ユダヤ人は大抵の国で迫害を受ける。ちょっと時代は先に進むけどもナチスドイツのアウシュビッツ収容所なんてその典型例。そんな迫害されし民ユダヤ人にイギリスは救いの手を差し伸べたのである。帰るべき故郷を、再び、ユダヤ人の手に……

 

って、ちょっと待たんかい。

 

お話が矛盾している。イギリスはアラブ諸国に対してはフセイン=マクマホン協定でアラブ人国家をパレスチナに建立することを約束している傍ら、ユダヤ人に対してはバルフォア宣言でこれまたパレスチナに国家を興すことを確約している。なんだよこれ矛盾だらけじゃねえか!!!という話なのだが、当時のアラブ人やユダヤ人は裏で何を約束しているかなど知る由もなく、ただただ戦後の安寧のために世界大戦に駆り出されていたのである。ああ、悲しいかな。

 

だがね、イギリスがブリカスと呼ばれる所以はこんなもんじゃない。実はこの二つの協約を結ぶ間に、なんとブリカスはフランス、ドイツと戦後のパレスチナ分割について話し合っていたのである。これがサイクス=ピコ協定(1916)である。

こんなに矛盾だらけのパレスチナ。戦後果たしてどうなったのかというと、当然のごとくアラブ人、ユダヤ人との約束は「うっそぴょ~~~んwwwww」と捨て去られ、パレスチナは列強の手により分割統治されたのである。

時は流れ1947年。第二次世界大戦も終わり、ヨーロッパの国々は二つの世界大戦で疲弊し、もはや植民地を維持するだけの軍事力を持ってはいなかった。そこでようやく国際連合からパレスチナ分割案が下され、ヨーロッパ各地で迫害されていたユダヤ人たちにパレスチナ自治を認めた。

ところがどっこいこれじゃアラブ人は納得がいかない。それもそのはず。アラブ人との約束だけ捨て去られてユダヤ人はホクホク顔でパレスチナに定住しちゃってるんだからブチギレもいいところ。

 

ここにおいて、4次に渡る中東戦争が始まる。

長くなりそうだから続きは後半に