オタク自省録

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読書記録 ナミヤ雑貨店の奇蹟

そういえばこんな本も読んだな。と思い出した一冊をなんとなく紹介してみる。もはや備忘録でしかないので紹介する気もあまりないが、一応。

 

東野圭吾ナミヤ雑貨店の奇蹟

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タイトルを見たときに、『奇跡』と『奇蹟』って意味が違ったりするのだろうかと考えさせられる一冊である。筆者は一度気になると夜も眠れない好奇心旺盛なわんぱく小僧なので、とりあえず調べてみた。どうも原義はキリスト教の聖書が絡んでくる宗教的な単語らしく、

神の力によって起きた不思議な出来事が「奇蹟」

単なる不思議な出来事は「奇跡」

らしい。つまりこの物語はキリスト教的・神の御力によって生じる不思議な出来事が主軸となる話なのだろう。わんぱく小僧は十字を切って本を開いた。

 

片田舎にあるナミヤ雑貨店は子供に人気の商店である。店主の爺さんが子供好きのため、小学生のくだらない質問にとんちをきかせて回答するなどして余生を過ごしていたところ、次第に本気の悩みも手紙で送られてくるようになった。店主のナミヤ爺は雑貨屋を閉店した後も送られてくる悩み事に真摯に答え続け、この雑貨店に何か不思議な力が働いていることに気づく。それは悩み事が時代を超えて過去や未来から送られてくることだったのである。

 

そう、キリスト教全く関係ないんや筆者がもっと早くこの本を手にしていたなら東野圭吾「『奇跡』に変えたほうがいいと思いますよ。いや、プロの作家さんに逆らうつもりはないんですけど、なんとなく。ほんとなんとなくですけど」と手紙を送りつけていただろう。しかし本作は映画化に至っており世間的知名度が低くはなく、筆者の手前勝手な野次は後の祭りである。

そんなことはどうでもいい。この作品はもっと別に、深く考えさせられる主題を持っているのだ。それは、他人の悩みにどう答えるのが正解なのか、ということ。作中でナミヤ爺はどこの馬の骨かもわからん匿名の人物たちから、実にバラエティに富んだ悩みを持ちかけられる。私に生きている価値はありますか。水商売に専念したいと思っているんですが。どれも一筋縄にはいかぬ難題である。

 

例えば「私は自殺をしようと思うが、悩んでいる」という相談事が来た場合、読者の皆さまはどのような答えを出すだろうか。常識的に考えて、自殺をおもい留めさせるような返事を選ぶのだろうか。あるいは勝手にしろと敢えて突っぱねるだろうか。ナミヤ爺の考えは以下の通りである。

大前提として、悩みを持ちかけてくる時点で手紙の主の意思は固まっている。それ故相手の意見に賛成しようが反対しようが結論としての行動は変わらない。

しかし、手紙の主はそれでも考えあぐねてナミヤ雑貨店に悩みを持ちかけている。そうである以上、相手に安心感を与える内容の返答をしなければならない。それが手紙の主がナミヤ爺に求めた答えである。

 

つまり相談事に対する理想の返答というのは、自分が考える最良の方法を教えることではなく、悩んでいる相手が本当に求めているもの(=安心感など)を与える言葉である、というのがナミヤ爺の持論だ。凝り固まったカチカチの脳みそしか持ち合わせない筆者にとってナミヤ爺の考えは驚天動地。コペルニクス的転回であった。

言われてみれば当たり前のことであるが、振り返ってみると今まで相談事を持ち掛けられたときにナミヤ爺のようなスタンスをとっていなかったことは言うまでもない。普段就活で顧客目線顧客目線と口うるさく平身低頭しているというのに、その実質を理解していなかった愚鈍さに赤面するばかりである。当ブログも読者のことを考え、読者が求めている文章を目指したいものである。しかしこれがワカラナイ。筆者もナミヤ雑貨店に相談してみようかしら。