オタク自省録

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ひとくち法知識 尊属殺人罪

本日はちょっとした文章練習を兼ねて、法律を学んだことのないマチュア向けに日本の法律のちょっとした小話をご提供しようと思う。筆者の私情で何らかの法律的話題について喋れるようにしておかなくてはならなくなったので、そのための思考整理も兼ねているが、まぁお構いなく。あと、ほんと、アマチュア向けなんで、ガチ勢の法律クラスタの方、色々と許してください。

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※なんとなくサムネイルが寂しかったので画像を添付しましたが、執筆中の筆者の脳内は画像背景のように五里霧中です。

 

読者諸賢は法律をひとつ言えと問われて何を想起するだろうか。小学生ならありえないボリュームで「死刑!!!!!!!!!」と物騒なワードを絶叫してくれることだろう。利発な学童には今後”慎み”を覚えることを期待したい。

死刑が法定刑とされている刑法はいくつかあるが、やはりもっとも有名なものは殺人罪である。これは誰もが知る刑法であろう。殺人を犯したものは死刑又は5年以上若しくは無期懲役となるこの法律。しかしかつての日本国刑法には殺人罪の類型として、より罪の重い尊属殺人罪」の規定があったことを知っている人はどれほど居るだろうか。

 

旧刑法200条、尊属殺人とは、自分の尊属、すなわち父母や祖父母を殺した者に対して科される罪である。そしてその刑罰は、死刑又は無期懲役通常の殺人罪より重く規定されているのである。この条項は1995年まで刑法典上に存在していたが、実質的に効力を失う(=法律の適用が禁止された)のは1973年らしい。

尊属殺人罪が現在の刑法に無いのは、この法律が憲法違反、正確に言えば憲法14条法の下の平等に反すると(最高裁判所により判示)されたからである。このような判決を違憲判決と呼ぶが、違憲判決は日本の法律の歴史の中で過去10件しかない非常に珍しいもので、そのうちの一つが尊属殺人罪なわけだ。

「”法の下の平等に反する”という理由で違憲です。この法律はダメ」と言われると「尊属も卑属もそれ以外も同じ人間なんだから、誰を殺したかで罪を重くしちゃいけないんだな」と推論する方もおられるだろう。。実際筆者もそうであった。しかし日本の司法権の権化たる最高裁判所が出した理論はそうではない。

 

ここが面白いところで、最高裁判所尊属殺人に通常の殺人より重い刑罰を科すこと自体はOK」として、「でも無期懲役又は死刑ってのはちょっと重すぎるんじゃね」という理由で旧刑法200条を憲法違反とした。つまり、罪の重さが適正であれば、尊属殺人罪自体は存在しても良いとの判断である。

 この判決の良し悪しについては人によって意見が違うだろうし、実際法律の専門家の間でも様々な見解が交錯しているところである。その表れとして、当該判決を下すにあたっての最高裁判所裁判官の多数決では、15人中6名が尊属殺人罪の存在自体に反対していた。あと数名が反対すれば刑法は今と違ったものとなっていたかもしれない。読者諸賢はどのように捉えるだろうか。

 

尊属に対して行った犯罪を特に重く規定したものを尊属加重罪と呼ぶが、その立法趣旨は「社会道徳を破壊する行為に対する防衛処置」である(尊属殺人罪以外にも尊属加重罪は存在しており、そちらの方は違憲とはなっていない)。こう言われると、一見なんとなく罪を加重することそれ自体には合理的な理由があるように思われるが、ここでいう「社会道徳」とはいったい何なのかと考えるとすぐには思いつかない。

歴史をさかのぼると、唐代中国から日本に初めて”法律らしきもの”が渡来し、それが大宝律令(701年)となったようである。その唐という国では古来から尊属加重罪が存在していたらしいのだが、その根拠がなかなかとんでもないものである。というのも、尊属加重が許される理由は、「子を慈しまない親はいない」だとか「子は無条件で親を敬うはずだ」といった謎の性善説である!とのこと。

当時の時代背景を考えると妥当だったのかもしれないが、現代日本においては完全に時代錯誤である。しかし日本刑法における上記の「社会道徳」の大本はこの性善説であるし、それがなんとなく受け継がれてきた結果、違憲判決が起きてしまったわけだ(語弊がある表現)。と言われると、一般市民たる我々の観点からみれば、納得がいかないような気もする。しかし法を研究する大先生方は、我々では到底及ばない高度な知見に基づき、尊属加重罪の肯定に至る論理を備えておられるのだ。偉いぞ。

 

と、いったように、法の世界と一般的世俗的世界は感覚的なズレが生じることがしばしばある。しかし、上記では適当にごまかして纏めたが、実際には時間をかけてかみ砕いて解釈すれば、確かに論理的整合性のある理論となっているのが法律である。筆者のように大学で特に法律を専攻するなどしなければなかなか触れることのない法律の世界にも、一抹のオモチロサがあることをふんわりと察していただけると幸いである。