週刊文盲 オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

オタクがイキる日

その日はかねてより心待ちにしていたハレの日であった。とある筋で知り合った同郷の後輩(女性)を酒の場に招待したその日である。「美味しいお酒を飲ませたるわ!」と、気持ちの悪い中年男性が部下に投げかける常套句に似た誘いをしておいたのだ。俺が後輩ちゃんであったらやんわりとお断りするところを、彼女は慎ましく承ってくれた。これを好機とみた俺は、速やかに彼女と同じサークルに属する生粋の邦楽徒にして勃起不全障害のEDくんを招致し、俺の持つ全情報網を駆使し探し出した洒落たダイニングバーの予約をした。あとは後輩ちゃんと入店するだけである。

 

店に彼女を招待した後に我々オタク(俺とEDくん)が何を為そうとしているのか。言うまでもなく、イキりたいのである。EDくんはともかく、俺は先輩風をむやみに吹かせることだけを生きがいに後輩と接触している不逞の輩である。上京したての一人娘にきらびやかな都会の一端を見せつけ「こんなの普通だよ」とスカしたことを言わんとしているのであった。

その一方で、俺は世に言う『イキりオタク』を全般的に毛嫌いするオタクである。イキりオタクの定義は定かではないが、どうやらそこに俺は分類されていないらしい。法律を学んでいるとは思えない、実にフレキシブルで身勝手な定義である。俺はこの夜、自分のことを棚に上げ、全身全霊をもって先輩風を吹かせることに血道を上げた。棚に上げるだけでは飽き足らず、棚の奥底に自らを埋葬さえした。

 

「なんかすごい店ですね!」

 

そこは大学近郊の街にある、我々オタクには似合わない小洒落たダイニングバー。後輩ちゃんの声で我に返った俺は、『できる先輩』を装おうと不慣れな手つきで店員を呼んだ。

 

「ビールとジントニックを。後輩ちゃんは?」

 

俺がジントニックを頼んだのは、「一杯目はビール」等という悪しき慣習を後輩ちゃんに感じさせないためだ。そもそもビールなどという苦いだけの液体を好んで飲む人種は味覚障害ではないかと真面目に思っている。俺はブラックコーヒーに角砂糖を4つ放り込む大和男子である。

 

「あっ、私もビールでお願いします!」

 

而して後輩ちゃんは苦いだけの液体を好んで飲む人種であった。「私ビール好きなんですよ!」ハツラツと答える彼女の笑みは純粋無垢そのもので、口元から覗く八重歯がなんとも愛らしかった。この時俺はおそらく、「一杯目はビール」を共用する中年男性と比類のない妙ちくりんな顔をしていたと思われる。俺が偽装せんとした先輩風は早くもハリボテの体であった。

それからしばらくソーセージなどをツマミに小洒落たダイニングバーを満喫した。EDくんはカクテルに造詣が深く、メニューに乗っている不思議な名前のカクテルについて尋ねると反射的に正確な配合を答えてくれる。後輩ちゃんの「これってどんなお酒ですか?」に対し、俺が開口するよりも早く解説を入れるので、俺の存在価値は塵のごとく霧散した。ちなみに俺が唯一わかったコムズカチイ酒の名は「コカレロ」のみであった。

しかしEDくんは決して憎めぬ為人をしている。後輩ちゃんがお手洗いへと席を立った時、我々は化けの皮を剥ぎ「可愛い女の子と酒を飲むことが人生の醍醐味ですなぁ!」非常にいい気になった。後輩ちゃんが戻ってくると瞬時に出鱈目な先輩風を吹かせようと奮闘した。

そうしてダイニングバーでの至福のひとときが過ぎ去った。

 

「今日はご馳走様でした!」

 

本心からディナーを楽しんだと言わんばかりの笑顔でそう言う後輩ちゃんに対し、EDくんは

「これから俺らバー行くけど、来る?」

と、予期せぬ二次会を提案した。俺はこのときほどEDくんを頼もしく思ったことはない。いや、テストの時にレジュメ全部もらったときのほうが頼もしかったけど。

バーという大人の世界を匂わせる響きに、天真爛漫で好奇心旺盛な後輩ちゃんが食いつかぬわけもなく、俺達は以前EDくんと発掘したオタクに似つかわしくない上品なバーへと足を運んだ。

 

バーの酒は美味い。普段居酒屋で泥水のような酒を飲んでいる俺でもそれだけはわかる。高度に抽象的な注文をしてマスターを困らせた挙句、美麗かつ芳醇なカクテルが俺達の前に並んだ。

後輩ちゃんの気分をグラスの上に具象化したカクテルという作品。それを口にした時の彼女の表情を今でも覚えている。EDくん曰く「あそこまで美味しそうにカクテルを飲む人を見たことがない」。先輩風を吹かせることも忘れ、俺とEDくんは彼女の横顔に魅了されていた。

 

そうして気づけばオタク二人は日高屋でラーメンを啜っていた。二軒目を含めて会計は20000円となり、後輩を前にイキりたい俺達は当然後輩ちゃんの代金を負担し、知らぬ間に貧乏学生にしては恐ろしい金額を一晩で溶かしていた。

 

「でもまあ、一万円で後輩に楽しんでもらえるならいいんじゃない?」

「それもそう。また後輩ちゃんと飲みたい。」

 

イキり切れなかったオタク二人は夜の街で気持ちよく笑った。