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オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

俺氏、文学者としていきり立つ

「決めた。俺は小説家になる」

思い立ったが吉日、俺は文学者としていきり立った。これに先日当ブログにおいて新設した『いきり立ちシリーズ』が影響していることは言うまでもない。何の気なしに書き下ろした『俺氏、本屋経営者としていきり立つ』がシリーズ化し、偶然という名の運命によって適当な編集者の目に止まり書籍化されれば、来るべき就職活動に怯える日々に終止符が打たれるというもの。

 

「そういうのは『小説家になろう』でやってください

大学の新歓ブースでむっつりとした顔で唐揚げ定食を貪る排泄物色の髪を持つ後輩にそう告げられた俺はここぞとばかりに言ってやった。

 

「このシリーズは必ず書籍化する。そして日本語を知る全国のゴミオタクたちの指導者として俺は君臨するんだ

ゴミオタクたちの指導者になりたい。それが大学デビューした俺の夢だったような気もするしそうでないような気もする。

 

「先輩の志が意味不明なのはおいておいて、物書きになるのはそう簡単なことじゃないですよ」

唐揚げ最後の一つを頬張りながら言葉だけこちらに向けて彼女は続ける。

「その前に先輩、著名な小説家をどれぐらい知ってるんですか?」

かく言う排泄物少女はケバケバしい見た目に反し、その実キリシタンの如き隠れ文学少女である。新歓に乗じて飲食娯楽を他人の金で事済ませ、毎日のように遊びに繰り出しているというのに、一日一冊の読書を欠かさず続けているという猛者である。正常な思考回路をもってすれば、俺と後輩とどちらが人間的社会的文化的に優れているかは一目瞭然だろう。

 

「俺が知っているのは森見登美彦大先生柚木麻子、それから一応唯川恵くらいだ」

「最近の娯楽小説に偏っていますね。それも本当に先輩の趣向だけに」

「古典文学が何になるものか。俺は『こころ』を中学時代に読んだが記憶にあるのはKという固有名詞だけだ。それからエーミール。こいつに関しては書籍の名前すら覚えてない」

「それはつまり先輩の文盲具合が露見しているということですか?」

泉門を的確に木槌で打ち付けてくる彼女の攻撃特化型会話術に俺は脱帽した。もはや返す言葉が見つからないほど俺の陳腐な一言は粉砕されている。

 

「確かに俺は文盲だ。文庫本一冊に6時間かかる。だが文を書くとなれば話は別で、自虐的怪文書を綴りあげることに関しては世界的権威と言っても過言ではない

「先輩の自虐なんて誰も聞きたくないと思うんですけど」

彼女はそう言うが、俺は決してそうは思わない。人間とは自分より劣位にある他人を見つめることで精神的安定を得る卑しい生き物だ。これは精神医学上証明されている事実なので議論の余地のない真理である。だから俺は読者諸賢を信じる。皆様よりよっぽど社会的地位の低い最底辺カーストに位置する俺が絵に描いた餅に一喜一憂する様を見て、読者諸賢は必ず小銭を投げつけてくれると!

 

「文学者になろうと思うなら、まずは表現技法を学習しなければダメですよ。それに圧倒的な知識と経験。先輩は読者の誰もが感嘆する程の語彙力をお持ちですか?」

「もちろん俺だって無鉄砲に物書きを目指しているわけではないよ。知識と経験に関してはホモに纏わることならそこら辺の妄想作家より詳しいし、語彙力は森見登美彦で鍛えている。表現技法は反語だけ知ってればいいだろ

これは完璧なる反撃である。彼女の設問全てに満点の回答を叩き出した。「それじゃBLしか書けませんね」などという後輩の声は決して聞こえない。重要なのは熱意だ。俺の駄文に対する情熱がノーベル文学賞という形で結実するのは時間の問題だろう。だがその前に後輩の言う通り、諸処の事情を検討してみる必要はある。

 

「文豪すらかつ学に励む。況や先輩をや」

 

彼女の冷たい視線はため息を吐いていた。

 

考慮すべき事項は山積している。小説家となるには様々なルートがあるようだ。まずひとつ目は最近よく見かけるようになったインターネット小説からの書籍化である。小説家になろうなどの、なろう系サイトというものに文章を投稿し、出版社に目をつけてもらうという寸法だ。しかし冷静に考えて硬派な文章を礎とする俺の文学は、ライトノベル跋扈する俺TUEE至上主義なろう系サイトに馴染むはずがない。仮に文豪としてのプライドを捨て、オタクに媚びた量産型ラノベを投稿したところで、自虐をするだけで女性と一切関わりを持とうとしない主人公の姿を読者が見守りたいと思うはずがない。

 

なろう系サイトがダメならば、文学賞に応募すればいい。これは古典的であり現代でも有効な王道的手法だろう。世の作家の多くが、◯◯賞と名のつく勲章を授かり、そして書籍化を果たしてきた。文盲かつ文豪の俺がこの例に漏れる現実的危険性は限りなくゼロに近いと思われた。読者が著者の心配を始めるほど極まった自虐で、審査員の同情を誘い文学賞を受賞してやろうという魂胆である。

だたこれらの作品コンテストの募集要項は大抵膨大な文章を要求してくる傾向にあり、少なくとも原稿用紙100枚は下らない。2000字、即ち原稿用紙5枚を埋め尽くすのに胃潰瘍ができる思いをしている俺に作品応募は叶わないように思われた。文化的な生活を求めるあまり健康な生活を捨ててしまっては元も子もない。憲法はその双方を保障しているはずだ。ということは俺が胃潰瘍に苦しみながら文学賞を取れば、国からの支援を受けつつ小説家になることができるのではないか。このような姑息な考えを持っているうちは偉大な文豪になれないと悟るのは、国の脛をかじる圧倒的メリットにひとしきり騒いだあとの話である。

 

それからというもの、小説家への道のりを検討すればするほど自分の妄想が肥大していく一方で、建設的な一手を一つも見いだせていないことが発覚し、俺は途方に暮れた。更には『出版社と契約して自費出版という最も実現可能性が高いルートの中に、やはり俺の天敵たる法律、それも民法の影がチラつき、一目散に逃げ出した。

永きに渡る苦悶の末、俺は小説家に踏み込むことを敢えて避ける英断を下すこととした。趣味を仕事にしては、娯楽が一つ減ってしまう。文化的な仕事など、他にも山ほど転がっているはずだ。法律だけは忌避し続ける俺の将来にだって無数の選択肢が広がっているのだから。

 

「そんなことより『四畳半神話大系』を早く貸してください」

今は排泄物的髪色乙女との文壇でお腹いっぱいのような気もした。