週刊文盲 オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

オタクのガールズバー入門 1

旅行を思い立つのはいつも唐突である。何か日常に飽きた、毎日に変化を与えたい、などという高尚な理由にあやかって遠方の友人と騒ぎ倒すために高速移動手段を用いるといったことを四半期に一度は実行の予備に至っていると思う。そしてその目的地は必然と関西になるのもまた俺の中で慣習となっている。
今回の旅行では五日間ほど関西に滞在することとし、そのちょうど中日あたりに知り合いの居酒屋店長さんとアマの夜を堪能しようという話になっていた。アマというのは兵庫県尼崎市を指し、それ即ち現代日本が抱える由緒正しいスラム街である。その市外局番が大阪のそれであることから大阪府尼崎市と勘違いされることが多いが、尼崎は神戸の一角を成す優美な街だ。聞くところによるとアーケード街には浮浪者が溜まり、小学生の中に金髪がチラホラと見え、パチンコ屋前ではタバコの吸殻を拾い上げ残留したニコチンを吸い上げる老婆が佇むという。循環型社会の構築にご敬老が率先して取り組むとはやはり素晴らしい街だと思った。

 

さて、時は夜の12時を回った。俺は例の居酒屋店長、名前を「ニャン吉」の車で、我々と志を同じくする武士の元へと向かっていた。かの武人は「うめちゃん」といい、ニャン吉とうめちゃんは、俺がFF14の中で出会い現実でも付き合いを持った数少ない友人だ。
ニャン吉は、優しげな顔をした高身長イケメン。酒に精通してて、大人の男の魅力溢れるイケメンって感じ。うめちゃんはのび太みたいな感じ(雑)。俺たちはうめちゃんのことを「愛すべきバカ」って呼んでたりする。
うめちゃんを拾い、そのまま徒歩でニャン吉の行きつけ(3回目)のガールズバーに。FF14内で、8人に満たないパーティのことを「Right Party」と呼ぶことから、今宵は「Night Party」やな!なんて言いながらバーの門扉を開けた。

 

「いらっしゃいませ〜!」

 

御主人様と言われなかったあたりがメイド喫茶と違うところだと思う。かれこれ何かと理由をつけてメイド喫茶を渡り歩いてきたものだから、店の女の子に媚びられる時は御主人様であることに慣れてしまっていた。そんな慣れは金輪際不要なのは確実なので、早速捨て去ることとする。
バーの内装はカウンター越しに女の子が3人立っており、席は10ほど。俺たちはニャン吉、うめちゃん、俺の順に奥のカウンターに座った。カウンターの曲線部分に俺が座したのは言うまでもなくコーナーで差をつけるため。オタクの秘めたる力を最大限に発揮するポジションでガールズバー攻略に挑んだ。

やたらと高い椅子に座るのに苦労しながらなんとかこの異空間で己の身体を固定し、ファーストドリンクを注文する。
ニャン吉「とりあえず生で」
うめちゃん「じゃあ同じで」
俺「俺はジントニックで」
一方の女の子がお酒を作り、他方が俺たちの話し相手をしてくれた。ルナちゃんとかいったかな、めちゃんこ可愛い子が話し相手で正直びびった。飲み放題1時間4000円でこんな美人が出てくるんかと。しかも服装がまぁエロい。真っ白でピッチピチの半袖ジャケットみたいなのと、太ももの9割が露見したタイトスカートしか着てない。かがんだら普通にブラ見えるがな。これ大丈夫なん?ってブラをガン見してた。
俺が東京から来たこと、最近成人を果たしたことなどなど、初対面ながら話題には困らなかったのでルナちゃんと楽しく話していたらドリンクが3杯やってきた。

 

ニャン吉「まま、ルナちゃんらも飲んで。ええからええから、みんなで楽しく飲もうや」
ルナ「私達も飲んでええん〜?」
ニャン吉「いや、もうそういうの、聞かんでええってw」

 

なるほど、ガールズバーってのは女の子にもお酒を飲んでもらうところらしい。よく考えなくてもそりゃそうだ。野郎だけで飲み潰れても楽しいことは何もない。彼女らは飲み放題メニューにないオペレーターを手にとっていた。なるほどなるほど。彼女らのお酒は俺たちが払うのか。まぁこれも当然やな。今日は金を溶かすつもりで来た。

 

「それじゃ、乾杯〜!!」

 

こうして俺の初めてのガールズバーは始まった。

【コラム】ナメクジでもわかる『超人哲学』

ナメクジでもわかる「神は死んだ」の続き。

 

「そんなもん、お前が強くなればええんや。強く……強くなりてぇ……ッ!!ってな」

弱者たるオタクにニーチェはそう言い放ちました。でもニーチェが生きていた当時(19世紀後半)にオタクはそんなおらんかったので、ニーチェは心の支えとなった価値観、すなわち宗教を疑い始めた人々に言ったわけ。

ニーチェ「そんなに金持ちが憎いか!そんなに権力者が憎いかお前ら!!」

人々「俺たちを虐げてきたあいつらが憎くて何が悪い!!俺たちは精神的勝利の中に日々を生きる希望を見出してんだよ!!

ニーチェ「でもお前ら、今ならだれでも金持ちになれる可能性あるで。なんなら権力者になれるかもしれんし、いつまでも耐え忍んでんのしんどくない?」

人々「まあ確かに……」

ニーチェ「ええか、神はもうおらん。お前らがキリストの代わりに信じるのは己の『意思』……『力への意思』や……ッ!!

人々「おぉ……(どよめき)」

ニーチェ「ええか!!信じられるのは向上心を持つ自分自身だけや!!俺たちみんなが『超人』になって、日々を邁進するんやあああああ!!!!

人々「オオオオオオオオ!!!!

 

ってなったかというとそうでもなく、生前のニーチェは学界からも狂言師扱いされて、評価され始めたのは最近のことらしい。だってね、いくら産業革命始まったとはいえキリスト教圏で「神は死んだ」なんて言ってたらそりゃ敵だらけになるわ。俺だって「お前らの嫁は実在せんで」なんて言われたらうるせえええええええええ!!!!んなことわかっとんじゃあああああ!!!!俺に彼女ができても娘ができてもシエスタ俺の嫁じゃあああああああああ!!!!!!

 

というわけでニーチェは向上心を心の拠り所にしようぜって提案したわけだ。『超人』ってのは、力を得ようとする『力への意思』を持つ人のこと。これだけ聞くとなんか意識高い系が量産されそうだけど、無気力に何をするわけでもなく日々を過ごすよりは生産的じゃね?って話。ニーチェが生きた時代は急激な経済成長が起きてたから、意識高い系といわず、本当に意識高い成功者がわんさかいたのかもわからんね。

なんでニーチェがこんなに意識高くしようぜって説いたのかというと、『神が死んだ世界』で人々がどうなるのかということまで考えたかららしい。「神が死んだ」、つまり、何を信じていいのかわからない世界で、人々は絶対的な価値観、模範的な生き方を失い、日々を無気力に生きるようになってしまう。このような人のことをニーチェは週末に生きる人、『末人』と名付けた。『末人』だらけの世界では人々は生き方を失い、幸せを失い、そして国は生産力を失う。そんな未来を予測し、警鐘を鳴らしていたわけだ。

 

ということで日本の現代社会を顧みてみよう。社会問題になってる人たちがいますねぇ。ニートワーキングプア?夢のない若者?これってさ、『末人』じゃね?おいおいおい、百年も前のドイツ人に馬鹿にされてるよ俺たち。確かに景気は悪いし当時とは環境が違いすぎるけども、ここまで言い当てられちゃ一本取られた感が否めない。お見事ですなニーチェさん。というのがニーチェの評価です。いやほんますごいと思う。

 

さてさてお待ちかね(蛇足)哲学をオタクに当てはめてみようのコーナーです。このコーナーでは、現実の自分を客観的にとらえることができない、あるいはしようとしないタイプの『オタク』を取り扱って参ります。全てのオタクを批判しているわけではないので悪しからず。

とりあえず広くオタク全般に対してニーチェの哲学は当てはまると思うんですよ。昔の自分が誰よりも篤く二次元を崇拝していた『妄信的オタク』であっただけ余計に。『超人哲学』を読んでるときにホンマ心が痛かった。『ルサンチマン』てあんた、これ中高時代の俺やん(笑)って。

ただ一般にオタクが信仰するもの(二次元とか)に対して、その信仰心が揺らぐ共通のタイミングってのは無いと思うんです。高校生になったらみんな急にオタクを捨てるとかないでしょ。だからオタク以外の分野から啓蒙を受けたその時点で「神は死んだ」ことになり『超人』になるか『ルサンチマン』に溢れるかの分岐点に立たされると思うんだわ。

ただ実際に『ルサンチマン』を持ち続ける人は少ないと思う。「神は死んだ」と気づいた人は、ほかのあらゆる分野に寛容になることが多く、そこから例えば社会的地位向上のため自分磨きをし始める人もいれば、そういった選択があったと知りつつも静かにオタクを続ける人もいる。ただ一つ言えるのは、こうなった人たちは『イキり』をしなくなることですかね。『厄介オタク』みたいなのは、まだ他分野からの啓蒙を受けてない人のように感じる。実際どうなのかは、俺よりディープなオタクに聞かないとわからないけど。

 

で、わざわざニーチェの紹介までして何を論じ上げたいんやお前はって感じだろうけど、特に何か述べ上げることはないよ(適当)ただオタクからウェイに転向した身として、これオタクに当てはまるなぁと思っただけです。勿論ウェイ化が唯一の正解とも思っちゃいないけど、その転換点では確かに「神が死んだ」んだろうなぁと。

 

まあでも中二病オタクに対して「お前の神は死んだか」なんて問いかけてみてニーチェを教えてあげるのはいいかもしれんね。多分何も伝わらない気がするけど。

【コラム】ナメクジでもわかる「神は死んだ」

人はなぜ学術的事象の解説記事を書きたがるのか。答えは簡単。「俺はこんなこと知ってんだぜ!すげえだろ!」がしたいだけなのである。無論俺も同じ。少しでも勉強というものに身を置いた人ならわかるはず。数学でも英語でもなんでもいい。とにかく他人がわからないことを自分が知っていて、その説明を声高にするってのは気持ちいいもんだ。高校時代まではそれをし続けて、凡そ友人という友人からウザがられていたであろう俺だけど、大学に入ってからは学とはほぼ無縁の生活をしていたからこの手のオナニーができなかった。

そんな俺であるが、つい先日『史上最強の哲学入門』なる本を読み終えたので久々にコラムをばと。その中で特にニーチェの思想を学びなおし、まあ見事今の俺のスタンスを言い表してんなぁと感心したので、今回はニーチェの話。

 

「神は死んだ」

っていう強烈なパワーワードを聞いたことがある人は少なくないだろう。これを言ったとされるのがニーチェ。結論から言うと、現代無気力社会に生きる俺たちの姿を100年以上も前から予測し、小馬鹿にした哲学者である。

「神は死んだ」というフレーズは、その言葉が独り歩きしすぎて、本来の意味というか、何を揶揄した言葉なのか知らん人が多いんじゃなかろうか。勿論俺もそんな知らんじゃった。受験の手段として学んだだけだからね。しょうがないね。

まあともかく、この言葉の意味を理解するにはまず、広く『哲学』というものの歴史を覗かねばならない。これを全部語り始めたら日が暮れるので概要だけざっくり書く。ちなみにニーチェはドイツの哲学者なわけだけど、基本的に西洋哲学史だから、ヨーロッパあたりのことを想定してね。

 

まずは古代ローマを想起してほしい。それは紀元前の話。貴族が台頭し、金持ちが強者とされた時代。力があるもの、金があるもの、頭がいいもの。それらが時代の『強者』として君臨していた。弱者は弱者でしかなく、その運命に従うことしかできなかった。

時は流れキリストが生まれる。隣人すら愛する彼の『博愛主義』は信者を集め、「たとえ弱くてもいいんだよ。右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさい。みんな仲良くやりましょうね~」といった感じの、弱者も精神的な部分で救われることを解いた。これがユダヤ教の思想においては、精神的勝利としてもっと「精神的には勝ちました~ざまーみろ~~ww」的な感じで書かれてたりする。

そんなキリスト教が国教になる日が来ました。テオドシウス帝っていうローマの皇帝がキリスト教信者で、国の宗教にしちゃったわけですな。この瞬間が弱者と強者の転換点となるんだわ。つまり、「財力、権力がある強者」が偉いのではなくて「財力も権力もない弱者だけど、精神的に優れた人」が偉いとされる価値観になったわけ。この流れは今の日本にもあるのかな。どうかな。

西洋においては俺たち日本人では理解できないほど、宗教というものが重視されてるわけだから、この弱者でも偉い人はいる!みたいな価値観がずーーっと続いてきた。敬虔な信者は聖職者になったりしてたしね。けどヨーロッパでは宗教戦争だの教会の堕落だのと、宗教を道具として扱った卑しい行為が続くこととなる。

こうなると信者たちは思うわけだ。「あれ、キリスト教の教えに従ってても戦争は起こるし汚職は絶えなくね?弱者も救われるってホンマか工藤?」みたいな。おまけに産業革命以降は、卑しい身分とされていた『商人』たちが財力をつけてきて、社会的地位を上げている。

「もう神様なんて信用ならん!弱者はやっぱり弱者じゃねえか!!」

ここにおいてニーチェ「我々人類は、もはや神を信じることができない。人間が寄ってたかって神を殺したのだ」と言い放った。これが「神は死んだ」の真意というわけです。はい。

 

長かったね。それじゃ少しだけ補足を入れて終わりとさせていただく。

ユダヤ教を代表する「弱者でも精神的勝利が得られれば勝ちやで!」みたいな価値観。ニーチェは、この宗教的価値観は弱者のルサンチマンが生み出した心の支えでしかないとした。『ルサンチマン』ってのは嫉妬とか怨恨みたいな意味。財力、権力のあるものに虐げられても「彼らは金や権力でしかイキれないかわいそうな人だ」と思うことでユダヤ人は絶望しないでいられた。

「でもこれってホンマに良いことなんか?金や権力が欲しい!って思うのが人間のあるべき姿じゃね?」

ニーチェはそう説く。ユダヤ人が迫害されていた時代は仕方ないとしても、産業革命が起きて、資産家となれる可能性が万民に与えられた近代において、この考えは根性なしじゃね?って。

例えば、陰キャが気になる女の子と飲み歩くウェイの姿を見て「あいつは遊んでばっかりで身になることを何もしてねーじゃん。ほんま中身のない人間だわww」と心の中で思うこと。こういうのはただの嫉妬やで。だってお前そう思うだけでその子と話すことすらできないじゃん。と言ってるわけだ。

 

「じゃあお前、どうすりゃええねん!俺たち弱者は強者を馬鹿にすることで精神の安定を得とるんやぞ!支えなくしてどうやって生きればええんや!!」

そう叫ぶ陰キャ、もとい敬虔な信者にニーチェはかく語りき。

「そんなもん、お前が強くなればええんや。強く……強くなりてぇ……ッ!!ってな」

 

以上、ニーチェが著書『ツァラトゥストラはかく語り』で記した「神は死んだ」の解説でした。この続きの話『超人哲学』は次の記事で書きます。