週刊文盲 オタク自省録

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読書記録4 美容院と1000円カットでは、どちらが儲かるか?

忌まわしき行政書士試験の束縛から解放され、ようやっと思う存分読書ができるようになった。正直な話、別に試験日まででもSNSをこねくり回す時間を割けばいくらでも読書ができたわけだが、そこは現代社会を生き抜く若者にとってSNSがどれほど重要かということを鑑みていただきたい。ケツ毛ほどの価値である。

 

今回紹介する本は『美容院と1000円カットでは、どちらが儲かるか?』というビジネス本である。

 

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それはある平日の昼下がり。登校拒否を決め込んだ筆者が暇を持てあまし、ブックオフを我が物顔で闊歩していた時のことである。吝嗇化の筆者が青木まりこ現象に悩まされつつ200円コーナーを彷徨っていたところ、実に興味深そうなタイトルが目に入った。これは別にこの夏流行った某アニメ映画とタイトルが類似していたためではない。打ち上げ花火に関して、筆者に碌な思い入れはないのである。深く言及してくれるな。

 

本の概要としては、若き女性社長である由紀が経営難に陥ったアパレル会社を立て直すべく、謎の一流コンサルタント安曇の助言を受けつつ問題解決していくものである。物語は9章に分かれており、各章ごとにビジネス知識がテーマ設定されており、物語に沿ってわかりやすく(似非法学しか存じ上げない筆者にもわかった)解説してくれる。

筆者は昨今r&bにドはまりしているので、youtubeで適当な洋楽r&bを流しながら拝読していたところ、経営危機のビジネスストーリーなのに終始レゲエな雰囲気で楽しむことができた。場違いの典型である。

 

しかしこの本、少し読んでみるとわかるが、タイトルにあるような理髪店経営争いが全く描かれていない。キナ臭いコンサルタントが美容院と1000円カットのたとえ話を持ち出すのは物語半ばの5章。やっとの思いで読み進め、気になっていた議題にたどり着く頃には、筆者の脳内はr&bの影響で1940年代に遡っていた。

さらにこの物語は、各章ごとに臭いコンサルタントが生娘かつ社長の主人公をヨーロッパ各地まで招集し、ビジネスに関する蘊蓄を垂れ流すのだが、何故か毎回ワインに関する豆知識が登場する。読破した後に経営に関する知識は実に曖昧模糊であるのに対し、ブルゴーニュ地方で採れるブドウは赤ワインがピノノワール、白ワインがシャルドネなど、酒の知識だけが筆者の記憶領域にこびりついている。架空の経営難より目先の肉バルに意欲が向いていたことは否定できない。ちなみに筆者はシャブリが好物である。

 

登場人物のコンサルタントがキザすぎて著者の間接自慰を強く感じたこの一冊。裏表紙を見ると著者は筆者と同じゴミオタク大学の教授であった。なるほど確かに。生徒の9割が猿で残りの1割は得体のしれない詭弁でしかコミュニケーションをとれない我が大学で研究しておられれば、通常の数倍自分が優秀だと感じることだろう。登場人物に自己投影することもやぶさかではない。

 

総評すると、初心者向けで読みやすく、酒の知識まで身につく素敵な一冊である。経営学会計学、ワインに興味のある方は読んでみてはいかがだろうか。

ひとくち法知識 尊属殺人罪

本日はちょっとした文章練習を兼ねて、法律を学んだことのないマチュア向けに日本の法律のちょっとした小話をご提供しようと思う。筆者の私情で何らかの法律的話題について喋れるようにしておかなくてはならなくなったので、そのための思考整理も兼ねているが、まぁお構いなく。あと、ほんと、アマチュア向けなんで、ガチ勢の法律クラスタの方、色々と許してください。

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※なんとなくサムネイルが寂しかったので画像を添付しましたが、執筆中の筆者の脳内は画像背景のように五里霧中です。

 

読者諸賢は法律をひとつ言えと問われて何を想起するだろうか。小学生ならありえないボリュームで「死刑!!!!!!!!!」と物騒なワードを絶叫してくれることだろう。利発な学童には今後”慎み”を覚えることを期待したい。

死刑が法定刑とされている刑法はいくつかあるが、やはりもっとも有名なものは殺人罪である。これは誰もが知る刑法であろう。殺人を犯したものは死刑又は5年以上若しくは無期懲役となるこの法律。しかしかつての日本国刑法には殺人罪の類型として、より罪の重い尊属殺人罪」の規定があったことを知っている人はどれほど居るだろうか。

 

旧刑法200条、尊属殺人とは、自分の尊属、すなわち父母や祖父母を殺した者に対して科される罪である。そしてその刑罰は、死刑又は無期懲役通常の殺人罪より重く規定されているのである。この条項は1995年まで刑法典上に存在していたが、実質的に効力を失う(=法律の適用が禁止された)のは1973年らしい。

尊属殺人罪が現在の刑法に無いのは、この法律が憲法違反、正確に言えば憲法14条法の下の平等に反すると(最高裁判所により判示)されたからである。このような判決を違憲判決と呼ぶが、違憲判決は日本の法律の歴史の中で過去10件しかない非常に珍しいもので、そのうちの一つが尊属殺人罪なわけだ。

「”法の下の平等に反する”という理由で違憲です。この法律はダメ」と言われると「尊属も卑属もそれ以外も同じ人間なんだから、誰を殺したかで罪を重くしちゃいけないんだな」と推論する方もおられるだろう。。実際筆者もそうであった。しかし日本の司法権の権化たる最高裁判所が出した理論はそうではない。

 

ここが面白いところで、最高裁判所尊属殺人に通常の殺人より重い刑罰を科すこと自体はOK」として、「でも無期懲役又は死刑ってのはちょっと重すぎるんじゃね」という理由で旧刑法200条を憲法違反とした。つまり、罪の重さが適正であれば、尊属殺人罪自体は存在しても良いとの判断である。

 この判決の良し悪しについては人によって意見が違うだろうし、実際法律の専門家の間でも様々な見解が交錯しているところである。その表れとして、当該判決を下すにあたっての最高裁判所裁判官の多数決では、15人中6名が尊属殺人罪の存在自体に反対していた。あと数名が反対すれば刑法は今と違ったものとなっていたかもしれない。読者諸賢はどのように捉えるだろうか。

 

尊属に対して行った犯罪を特に重く規定したものを尊属加重罪と呼ぶが、その立法趣旨は「社会道徳を破壊する行為に対する防衛処置」である(尊属殺人罪以外にも尊属加重罪は存在しており、そちらの方は違憲とはなっていない)。こう言われると、一見なんとなく罪を加重することそれ自体には合理的な理由があるように思われるが、ここでいう「社会道徳」とはいったい何なのかと考えるとすぐには思いつかない。

歴史をさかのぼると、唐代中国から日本に初めて”法律らしきもの”が渡来し、それが大宝律令(701年)となったようである。その唐という国では古来から尊属加重罪が存在していたらしいのだが、その根拠がなかなかとんでもないものである。というのも、尊属加重が許される理由は、「子を慈しまない親はいない」だとか「子は無条件で親を敬うはずだ」といった謎の性善説である!とのこと。

当時の時代背景を考えると妥当だったのかもしれないが、現代日本においては完全に時代錯誤である。しかし日本刑法における上記の「社会道徳」の大本はこの性善説であるし、それがなんとなく受け継がれてきた結果、違憲判決が起きてしまったわけだ(語弊がある表現)。と言われると、一般市民たる我々の観点からみれば、納得がいかないような気もする。しかし法を研究する大先生方は、我々では到底及ばない高度な知見に基づき、尊属加重罪の肯定に至る論理を備えておられるのだ。偉いぞ。

 

と、いったように、法の世界と一般的世俗的世界は感覚的なズレが生じることがしばしばある。しかし、上記では適当にごまかして纏めたが、実際には時間をかけてかみ砕いて解釈すれば、確かに論理的整合性のある理論となっているのが法律である。筆者のように大学で特に法律を専攻するなどしなければなかなか触れることのない法律の世界にも、一抹のオモチロサがあることをふんわりと察していただけると幸いである。

読書記録3 限界集落株式会社

お久しぶりです。ここしばらくブログ更新を停止していたのには、その約束違反という業を相殺できるだけの理由があります。嘘です本当はありません。行政書士試験に向けての勉強と、実質的就職活動の開始が原因なのですが、僕の性分上時間の許す限りそれらに注力し続けることは不可能でして、まあ要は記事を更新するのに十分な時間と労力があったわけですね。今ここに悔い改め、適当な頻度で更新していくことを誓います。

さて、上記の言い訳及び誓約において重要なことは、筆者は決して「ブログの週刊化を再開します」とは述べていないことである。『週刊文盲』などという大層な看板を掲げておきながら、自らその志をへし折ったわけである。実に中途半端かつお粗末な宣言であり、筆者の不誠実具合を如実に体現した好例であった。

 

閑話休題。本日は読書記録をしようと思う。といっても、今回紹介する図書は8月に読破したものであり、記憶にあたらしいものではない。しかし、エントリーシートの趣味欄に読書と書いてしまった以上「最近読んで面白かった本はなんですか?」という質問に対して「AV男優しみけんの『光り輝くクズでありたい』です」と答えるわけにもいかず、調子の良い図書を模索していたところ、ビジネスらしい気質を持つ小説を思い出した次第てある。今回紹介するのは限界集落株式会社である。

 

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エリートサラリーマンの主人公がのどかな限界集落で転職期の長期休暇を過ごしていたところ、町役場から集落の解体及び移住を言い渡され、自作農の老人しかいない限界集落をとりまとめ一つの株式会社として団結させることで廃村の危機を乗り越えていく、といった物語である。サクセスストーリーで普通に面白い。

主人公はコンサルタントのような仕事をしていたため、組織化された営利団体を成長させていくことに関しては突出した能力を有している。しかし旧態依然とした村社会や向上心をもたない老人たちに対して営利を求めるために大きな改革を要する主人公の考えはなかなか受け入れられない。そのあたりをいかにして解決していくか、実に見ものである。二度目だが、普通に面白い。

 

この本の講評としては概ね高評価で良いと思うが、肝心なのはこれを面接の場でどのように紹介するかである。巨乳の元キャバ嬢と懇ろになった脇役のおっさんが羨ましい。筆者も老後は限界集落を取りまとめる総長となり田舎臭い芋娘たちのあこがれの的になりたい。そのような本心をハツラツと答えてしまってはお祈りメール待ったなしである。しかし現在の筆者が面接で論理的かつ明確に答えることができるのは右のような下心のみであった。

対策を練らなければならない。限界集落株式会社を最大限に利用できるそれらしい感想を捻り出す必要がある。筆者は考えた。考えあぐね、お気に入りのAV女優のお世話になろうとしたところ、自分に似ているといわれるAV男優しみけんが登場した。筆者の本能的欲求は水風船の如く萎み、その一瞬の賢者タイムで前衛的発想を掴んだ。禍を転じて福となしたのであった。(ちなみにそのアイデアはこの記事を書いているときには忘れている。筆者の妙案は今後一切役に立つことはない。)

 

そして来るべき二次面接。これを通過すれば実質内定が決まるインターンに参加することができる。筆者はバナナ柄の勝負下着を確認し、面接室の思い門扉を開けた。

面接では実に雑多な事柄を訊かれ、更にこちらの論理的思考力を存分に試された。なぜそう思ったのか。これに対する反証はないのか。実現可能性が低いのではないか。矢継ぎ早に繰り返される質問の嵐に筆者は内心辟易していた。違う、そうじゃない。俺が求めている質問はそんなことじゃないんだ。早く聞いてくれ「最近読んだ本はなんですか」と!

そのように常に念じながら受け答えをしていたせいか、筆者の一人称は「私」から「僕」へ徐々にシフトし始め、面接官に対して「いうてなんとかなると思います」などと砕けた言葉を使用するに至り、己の右失態に気づき顔面蒼白となった時には面接は終わっていた。ついに、最近読んだ本を訊かれることはなかった。

 

そのくせ二次面接は受かった。世の企業の目と耳は節穴である。筆者は安心して『光り輝くクズでありたい』を熟読玩味した。