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オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

文章がかけない日の文章

本当は年金徴収に来た初老のことを記事にしたかった。俺がゴミオタク大学法学部生ということを知らしめようと覚束ない法律知識をひけらかそうとし、実は行政法に造形が深かった初老の返り討ちにあう諧謔的小噺を2000字に纏めたいと思っていたのだ今日の朝までは。

それが一体どういうことか。半分まで書き終えたところで自分が創作したそれが微塵も面白くないことに気づく。先日の文豪Soaはどこへ行った。瞬く間に3つの職業を思い立ち、壮大な白昼夢に心躍らせ、自らの分析の刃で破裂させたのは誰だったか。ただでさえ面白さの欠片もない男なのだから、文字列の上では笑われる男になりたい。

 

「おもしろい文章を書くにはどうすればいいか」

ついに居た堪れなくなり文明の利器インターネットのお力を拝借することとした。俺にプライドや矜持といった類の自尊心は一切ない。親鸞聖人を上回る他力本願で実に老獪に世渡りをしてきたつもりだ。それにしては些か対人コミュニケーション能力に欠陥が見られるような気がするが、それは通常人の数倍回り狂う俺の非凡なる頭脳が起因しているのだろう。いつの時代も天才は理解されないものである。

 

閑話休題、インターネットはかく語りき。

 

1 世間の常識をなぞってはいけません

こういうことを語り歩く意識高い系がいるから俺のような悲劇のオタクが生まれるのである。奇天烈な行動を突飛に行うことこそ美学と勘違いしたオタクがどうなるかは、俺の半生を参考にしていただければ結構である。自分で想起しても赤面を通り越して躁鬱病が発生してしまうおぞましさである。現代社会に必要とされているのは人並み外れた発想力ではなく、優秀で勤勉な労働力である。戦後日本がいかにして成長したか、そして現在の日本が海外企業になぜ遅れをとっているのか、よく考えてみてほしい。全ては社畜主義にあり。これを逆説的に、世間に従順な人間、例え画期的アイデアがあったとしても世間に順応し歩調を合わせることのできる人間こそが日本に必要とされているのだ。即ち俺を始めとしたゴミオタク各位に産業的価値は無い。

 

2 身近なことを書けばいいんです

俺が身近なことを書いてみたとしよう。その半分は酒と女の話で、そのまた半分が近時発病したと思しき持続性妄想性障害、残りは飯の話である。酒の話は一見興味深そうに思えるが、下戸の俺がするアルコール体験記の全ては嘔吐に収束するため衛生的によろしくない。女の話は誰しも聞きたがるかもしれないが、俺が外堀を埋め続け一向に本丸に進もうとしない話をしても腑に落ちず物足りないだろうし、そもそも外堀を埋めてすら無い。飯の話は書いていると食欲が湧き上がりその後に深く後悔するので書きたくない。以上より身近な話はNGである。

 

3 自分が書きたいことではなく、読み手が読みたいことを書けばいいんです

当ブログの読み手とは誰を指すのか。俺はインターネットネトストマンではないので、誰がこの記事を読んでいるのか預り知らない。読み手の気分になろうにも、その読み手を推定できなければ元も子もない。この記事を読んだ人がいれば、俺に感想を含めたリプライでもよこして欲しい。ただし、前向きなコメント以外は断固として聞き流す所存だ。

 

天下のインターネット、俺の前では手も足も出ず。

俺はひとりでせせら笑った。他人に答えを求めようなどという横着をした俺にも一抹の落ち度はあるものの、俺の詭弁の前にあらゆる問答は無力と化すことがわかった。俺が詭弁を弄ぶことをやめない限りは、一切の学習効果は意味を成さないようである。しかし詭弁を捨てた俺に何の価値があるだろうか。このブログの8割は詭弁で構成されているし、俺の日常会話は詭弁をベースにしている。それどころか、俺の生活は両親に対する詭弁の結果もたらされる仕送りで露命をつないでいるし、思えば人生の大半は詭弁から成るような気もする。俺が真に論理的思考を身につけるということは即ち、今までの自分自身を否定するということだ。そんなことはあってはならない。例え俺の発言が正当性を持つとしても、説得力が伴うとしても、詭弁だけは捨てきれぬ俺のラストリゾート。かくして俺は偏屈王の称号をほしいままにした。

 

結局いつになればおもしろい文章が書けるのか。その命題に答えは無いように思われた。先日感じた一つの答えとして、『面白い文章のテンプレート』のようなものになぞらえば、ある程度の文章は書けるように思う。その一つが『いきり立ちシリーズ』の構成。あれは偶然の産物で、俺自身、どうしてあそこまで俺の文章を引き出せるテンプレートを自分が開発できたか理解できていない。しかしそれを使わずして面白さを表現したければやはり、日々の作文に対する地道な努力しか無いのではないか。

 

「それならひとりでに詭弁を弄んでいたほうが楽しい」

 

気概という気概を実家に置いて上京した俺に、その解決策は不可能のように思われた。そして今宵もまた、詭弁と夢想の一晩を過ごし、明日に後悔する。

俺氏、農家としていきり立つ

「決めた。俺は農家として余生を過ごす」

思い立ったが吉日、俺は農民としていきり立った。これに何が影響しているのかというと、一年前に縁を切った漆黒ブラック組織による人的酷使である。学生という特権階級を敢えて搾取対象とすることでゼロコストでの雑務を実現する、おぞましい組織計画であった。あの地獄のような日々からの開放を求め農家としての生涯を思い描いたことは確かだが、もう一つ重要な目的があることは主張しておかねばならない。

 

「次は銀の匙でも読んだかお前」

 

バイト先のチャラ男はやはり軽い口調で俺を小馬鹿にしてくるので、すかさず付け加える。

「俺は辺境の田舎の地主になって農業を営む。そして学校帰りの女子高生たちと懇ろになるんだ」

女子高生を飼いたい。それが成人を果たした俺の夢だった。

 

「ちょっと待って、論理の飛躍があったでしょ今。農業と女子高生の因果関係を述べよ」

 

かく言うチャラ男は以前俺に勧めてきた行政書士の学習に勤しみ、ついには因果関係などという高等な語彙を習得した。彼が所属する法学部限定オールラウンドサークルでは生意気にも『過失重過失コール』という法律用語の発音だけ知った痴れ者の飲みニケーションが誕生したらしい。

 

「よしきた。論理的に説明してやる。俺は農家として田舎の女子校付近の農地を開墾する

「待て、女子校付近の農地なんていう前提条件はさっきなかったろ」

「そして田舎の芋っぽい女子高生と朝夕の登下校時間を共有する。最終的に多くの女子高生が俺の田畑に踏み入り、共に夏野菜を収穫するに至るわけだ」

 

俺の論理的に完成した完全無欠な理論を前にチャラ男は言葉を失ったように見えた。営業中にレモンサワーを飲むのはもはや慣習と化している。

 

「女子高生が好きなのはわかったけど、お前みたいのが不審者としてニュースに出るんだなって思うわ

「失敬な。俺にとって女子高生は性的対象ではなく、愛護対象だ

変態はみんなそう言うんだって

 

変態の何が悪い。ジェンダーレスだの何だのと、やたらと個性を尊重する現代社会において、女子高生至上主義のみが弾圧対象となるのは間違っている。俺たちを弾圧する前に原宿に発生した突然変異種を捕獲するところから始めろ。

 

「農家になろうと思ったら、まずは農業の基礎を学ばなきゃ。それに田舎だとコミュニティがあるから近所付き合いしなきゃね。それに農協にも所属しないと作物売れないでしょ」

「もちろん俺だって無謀にも農家になろうなどと思ったわけではないよ。農業技術は最新のものを取り入れる。これからは手を汚さない農業の時代だ。近所付き合いはかつて文学者を志した俺の美しい文字列での文通で事足りる。農協は入ればいいんだろ入れば

 

近時の村社会が以前と比べて閉鎖的になっていることは承知の上だ。だが、重要なのは熱意だ。新参者かつ若輩者の俺だって、女子高生に対してどれだけ真っ直ぐで清純な想いを持っているのかということを真摯に伝えれば、片田舎のご老人が俺と農地贈与契約を契るのは時間の問題だろう。だがその前にこのチャラ男の言う通り、諸処の事情を検討してみる必要はある。

 

農業技術は人間の歴史とともに成長する。灌漑農業から始まり、鍬や千歯こきの開発、近年では生物学との運命的邂逅により遺伝子組換えや品種改良まで行われている。俺はまず女子高生との架け橋となる夏野菜の品種改良を企てる。野山にまじりてカフェラテを啜る田舎の女子高生とはいえ、虫への嫌悪感は捨てきれないだろう。そこで農作物への筋肉注射を導入し、害虫を寄せ付けない屈強な田畑に育て上げる。しかし、過剰な筋肉膨張は収穫物に影響が出るので避けなければならない。アメとムチを巧みに使い分け、女子高生の目前では軟弱な草食系男子を装うよう教育を施す所存だ。

ここに来てやはり最近のムーブメント、無農薬野菜の存在を検討しなければならない。首都圏に住む土の匂いも知らない主婦達は不健康なまでに健康を求め、結果として無農薬野菜に異様な執着を見せる。筋肉注射を行っては、いくら健全な施策とはいえ、彼女らの販促力は得られないだろう。ここに品種改良計画は頓挫した。

 

次に近所付き合いを想定する。田舎の農業は、一つの機械を複数の農家で共有するなど、村社会が実に堅牢な形で実現している。世代を超えて続くこの輪に溶け込むべく、俺は文通によるコミュニケーションを試みる。対人コミュニケーションにおいては赤子同然の俺だが、一度筆を執らせれば別人のそれ。読む人全てを魅了する才覚溢れる素敵文章がそこに広がるのだ。

しかし思い出して欲しい。俺の文章力の全ては自虐に注がれているということを。愚者を見下し満足とする読者諸賢は俺の文章の虜になるかもしれないが、根性論を座右の銘として大戦を生き抜いた御敬老が俺の文を読むと「最近の若いもんは」と、意気地、覇気、性根の全てに欠陥を持つ俺の人格そのものが否定されかねない。重厚な人間関係は対等な立場があってこそ。俺は生涯、御敬老の遥か低みから年金を送り続けるしかないのだった。

 

それからというもの、農業計画を練れば練るほど村社会の偉大さに気付かされる。村八分とは俺のような社会不適合者を迫害するためにあるとは察していたが、まさかここまで効率的に機能していたとは。農協に関しては正式名称『農業協同組合』から唾棄すべき法律の気配を察知し、はなから議題に挙げることすらしなかったが、組合不参加が原因で経営不振となり、女子高生とシェアするはずの夏野菜までも売り出さねばならぬと思うとやはり法律との対峙は避けられない。

 

永きに渡る葛藤の末、俺は辺境の地での農耕生活に踏み込むことを敢えて避ける英断を下すこととした。晴耕雨読を文理解釈することだけが健康で文化的で女子高生な生活ではない。雨が降ろうが槍が降ろうが、女子高生を支えたいその一心で働き続ける健気な男にこそ、女子高生は感銘を受けるのではないか。俺の将来の選択肢は、まだまだ無数にさんざめいている。

 

「どうしても女子高生がいいなら、教員にでもなれば?」

チャラ男の一言は青天の霹靂だった。まさかこんな近くに答えがあるとは、灯台下暗しとはよく言ったものだ。今日も俺は酒を奢る。

 

俺氏、文学者としていきり立つ

「決めた。俺は小説家になる」

思い立ったが吉日、俺は文学者としていきり立った。これに先日当ブログにおいて新設した『いきり立ちシリーズ』が影響していることは言うまでもない。何の気なしに書き下ろした『俺氏、本屋経営者としていきり立つ』がシリーズ化し、偶然という名の運命によって適当な編集者の目に止まり書籍化されれば、来るべき就職活動に怯える日々に終止符が打たれるというもの。

 

「そういうのは『小説家になろう』でやってください

大学の新歓ブースでむっつりとした顔で唐揚げ定食を貪る排泄物色の髪を持つ後輩にそう告げられた俺はここぞとばかりに言ってやった。

 

「このシリーズは必ず書籍化する。そして日本語を知る全国のゴミオタクたちの指導者として俺は君臨するんだ

ゴミオタクたちの指導者になりたい。それが大学デビューした俺の夢だったような気もするしそうでないような気もする。

 

「先輩の志が意味不明なのはおいておいて、物書きになるのはそう簡単なことじゃないですよ」

唐揚げ最後の一つを頬張りながら言葉だけこちらに向けて彼女は続ける。

「その前に先輩、著名な小説家をどれぐらい知ってるんですか?」

かく言う排泄物少女はケバケバしい見た目に反し、その実キリシタンの如き隠れ文学少女である。新歓に乗じて飲食娯楽を他人の金で事済ませ、毎日のように遊びに繰り出しているというのに、一日一冊の読書を欠かさず続けているという猛者である。正常な思考回路をもってすれば、俺と後輩とどちらが人間的社会的文化的に優れているかは一目瞭然だろう。

 

「俺が知っているのは森見登美彦大先生柚木麻子、それから一応唯川恵くらいだ」

「最近の娯楽小説に偏っていますね。それも本当に先輩の趣向だけに」

「古典文学が何になるものか。俺は『こころ』を中学時代に読んだが記憶にあるのはKという固有名詞だけだ。それからエーミール。こいつに関しては書籍の名前すら覚えてない」

「それはつまり先輩の文盲具合が露見しているということですか?」

泉門を的確に木槌で打ち付けてくる彼女の攻撃特化型会話術に俺は脱帽した。もはや返す言葉が見つからないほど俺の陳腐な一言は粉砕されている。

 

「確かに俺は文盲だ。文庫本一冊に6時間かかる。だが文を書くとなれば話は別で、自虐的怪文書を綴りあげることに関しては世界的権威と言っても過言ではない

「先輩の自虐なんて誰も聞きたくないと思うんですけど」

彼女はそう言うが、俺は決してそうは思わない。人間とは自分より劣位にある他人を見つめることで精神的安定を得る卑しい生き物だ。これは精神医学上証明されている事実なので議論の余地のない真理である。だから俺は読者諸賢を信じる。皆様よりよっぽど社会的地位の低い最底辺カーストに位置する俺が絵に描いた餅に一喜一憂する様を見て、読者諸賢は必ず小銭を投げつけてくれると!

 

「文学者になろうと思うなら、まずは表現技法を学習しなければダメですよ。それに圧倒的な知識と経験。先輩は読者の誰もが感嘆する程の語彙力をお持ちですか?」

「もちろん俺だって無鉄砲に物書きを目指しているわけではないよ。知識と経験に関してはホモに纏わることならそこら辺の妄想作家より詳しいし、語彙力は森見登美彦で鍛えている。表現技法は反語だけ知ってればいいだろ

これは完璧なる反撃である。彼女の設問全てに満点の回答を叩き出した。「それじゃBLしか書けませんね」などという後輩の声は決して聞こえない。重要なのは熱意だ。俺の駄文に対する情熱がノーベル文学賞という形で結実するのは時間の問題だろう。だがその前に後輩の言う通り、諸処の事情を検討してみる必要はある。

 

「文豪すらかつ学に励む。況や先輩をや」

 

彼女の冷たい視線はため息を吐いていた。

 

考慮すべき事項は山積している。小説家となるには様々なルートがあるようだ。まずひとつ目は最近よく見かけるようになったインターネット小説からの書籍化である。小説家になろうなどの、なろう系サイトというものに文章を投稿し、出版社に目をつけてもらうという寸法だ。しかし冷静に考えて硬派な文章を礎とする俺の文学は、ライトノベル跋扈する俺TUEE至上主義なろう系サイトに馴染むはずがない。仮に文豪としてのプライドを捨て、オタクに媚びた量産型ラノベを投稿したところで、自虐をするだけで女性と一切関わりを持とうとしない主人公の姿を読者が見守りたいと思うはずがない。

 

なろう系サイトがダメならば、文学賞に応募すればいい。これは古典的であり現代でも有効な王道的手法だろう。世の作家の多くが、◯◯賞と名のつく勲章を授かり、そして書籍化を果たしてきた。文盲かつ文豪の俺がこの例に漏れる現実的危険性は限りなくゼロに近いと思われた。読者が著者の心配を始めるほど極まった自虐で、審査員の同情を誘い文学賞を受賞してやろうという魂胆である。

だたこれらの作品コンテストの募集要項は大抵膨大な文章を要求してくる傾向にあり、少なくとも原稿用紙100枚は下らない。2000字、即ち原稿用紙5枚を埋め尽くすのに胃潰瘍ができる思いをしている俺に作品応募は叶わないように思われた。文化的な生活を求めるあまり健康な生活を捨ててしまっては元も子もない。憲法はその双方を保障しているはずだ。ということは俺が胃潰瘍に苦しみながら文学賞を取れば、国からの支援を受けつつ小説家になることができるのではないか。このような姑息な考えを持っているうちは偉大な文豪になれないと悟るのは、国の脛をかじる圧倒的メリットにひとしきり騒いだあとの話である。

 

それからというもの、小説家への道のりを検討すればするほど自分の妄想が肥大していく一方で、建設的な一手を一つも見いだせていないことが発覚し、俺は途方に暮れた。更には『出版社と契約して自費出版という最も実現可能性が高いルートの中に、やはり俺の天敵たる法律、それも民法の影がチラつき、一目散に逃げ出した。

永きに渡る苦悶の末、俺は小説家に踏み込むことを敢えて避ける英断を下すこととした。趣味を仕事にしては、娯楽が一つ減ってしまう。文化的な仕事など、他にも山ほど転がっているはずだ。法律だけは忌避し続ける俺の将来にだって無数の選択肢が広がっているのだから。

 

「そんなことより『四畳半神話大系』を早く貸してください」

今は排泄物的髪色乙女との文壇でお腹いっぱいのような気もした。