オタク自省録

オタクのオタクによるオタクのためのブログ

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オタク自省録へようこそ。

ここは東京某所に潜む気持ちの悪いオタクが、自分の脳内で情報を整理するだけの能力がないために、駄文としてインターネットの掃き溜めに文章を投下する場所である。Twitterが公衆便所であれば、当ブログは筆者専用おまる付き洋式便器である。排泄物同様の文字列に何ら文化的価値はなく、当ブログの記事を読むことは皆さまの貴重な生涯の浪費であることをここに警告しておく。

 

 

以下、当ブログのカテゴリーについて説明をしておく。

 

・いきり立ちシリーズ

筆者の妄想の産物である。ある程度の定型文をもとにした文章練習及び筆者の犯罪可能性抑圧を目的としたコーナーである。更新頻度は少ない。

 

・しょうもない近状

読んで字のごとく。ゴミオタクたる筆者の生活は「クソして寝る」に貫徹している。「健康で文化的な最低限度の生活」を座右の銘として掲げている筆者であるが、それがいかに荒唐無稽で無謀な試みであるかということを、このカテゴリーの記事をから読み取れる。読み取らなくてよろしい。

 

・その他

いずれ消えそうなカテゴリーである。こうして説明を加えるまで、当該カテゴリーの存在を忘却していたことがその短命を証明する。しかし筆者は無精者なので、「カテゴリーを消す」という行為が行われる可能性は低い。

 

・インチキ法学

ゴミオタク大学ゴミオタク学部ゴミオタク学科に通う筆者が、ほぼ聞き流すかそもそも出席しない法律の授業で得た有益な知識をひけらかす場である。なお前述の通り、筆者の毎日に何ら文化的要素はないので、当該カテゴリーが更新されることは極稀である。

 

・オタクのためのシリーズ

オタクである筆者が、オタクが経験したことがないであろう分野に突撃取材し、そのレポートを記述しオタク諸君の後学のために役立てようとするコーナーである。筆者が新天地のパイオニアとなることはなく、その10割は失敗に終わる。つまり役に立たない。

 

・世界史まとめ

大学受験時代に筆者が世界史のまとめ記事を書いていたのを偶然one driveから発掘してしまったので記念に掲載しているカテゴリー。当ブログの中で最も価値のあるカテゴリーであり、現在の筆者にはない深い知見をもって文章が構築されていることからオーパーツと呼ばれている。

 

・読書記録

「健康で文化的な最低限度の生活」を標榜する筆者が、その実現に向けて一応の努力を行っていることを証明するために設けられた言い訳の場である。筆者は文盲であるため、ムヅカチイ本は決して読まない。

読書記録 太陽と乙女

筆者が尊敬してやまない小説家は森見登美彦氏である。筆者の文体の8割方は森見登美彦に影響されているし、このような場所にしょうもない記事を垂れ流すことを良しとするオタクになり下がってしまったのも彼の影響と言えるだろう。そんな彼のエッセイ集が発売された。それが『太陽と乙女』である。

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ここで敢えて先に宣言しておこう。筆者は当該書物を3か月に渡って拝読を続け、ついに読み終えることが能わなかった。敬愛する作者の著作物を読破できないとはいったいどういった用件なのか。そのことについて記述していく。

 

まず第一に、森見登美彦という小説家の特徴を確認したい。彼の武器は『陰キャの京大生』である。それ以外に小説家としての武器を持たないといっても過言ではない。彼の著作物を読んで筆者が面白いと感じるのは主人公が陰キャの京大生である作品のみである。処女作の太陽の塔、アニメ化された四畳半神話大系、映画となった夜は短し歩けよ乙女、どれもこれも陰キャの京大生を中心とした作品だ。それから『恋文の技術』という書簡体小説だとか、『美女と竹林』という主人公が『登美彦氏』である真実とも嘘ともとれない日記だとか、これらもやはり陰キャの京大生

これらの作品の主人公はそれぞれ別人として描かれてはいるものの、理系の大学生で留年及び浪人を経験している、高嶺の花ともいえる黒髪の乙女を追いかけまわしている、尊大な自尊心を持つが自身の実態がそれに全く対応していない、詭弁をこねることに関しては天賦の才を持つ、などの特徴が共通しており、つまり森見登美彦のひととなりそのものである。一方では紋切り型と批判を受ける森見登美彦の作風であるが、好む人にとってはこの上なく面白い。そんな森見登美彦(=元陰キャの京大生)が書き下ろすエッセイが面白くないわけがない。期待に胸を膨らませ書店へ向かったのが12月の出来事である。

 

ところが本作品の内容は、筆者が想定していたものとは大きく異なっていた。本作品は、森見登美彦氏が好みの本やら映画やら場所やらについて、論評を加えたものである。つまり、諧謔的要素が極めて少ない。それは当然のことで、人様の作品に物申す際に、陰キャの京大生を登場させ自虐に自虐を重ねるなど、それはもはや筆舌に尽くしがたい狼藉であり、愚の極みである。

陰キャの京大生を読みたかったのに、割と真面目な文章が書かれている。落胆を覚えずにはいられなかった。陰キャの京大生を奪われた森見登美彦氏は徒手空拳に等しい。当然、筆者をはじめとするそこいらのしょうもない物書き風情よりはよっぽど素晴らしい文章を書くのだが、やはり彼が最も輝くステージは、黒髪の乙女と陰キャの京大生がいる似非京都であろう。

 

とはいえ、森見登美彦氏の作品群における執筆背景などが記されていたのは興味深かった。そして当該エッセイ集は『床に就いて読むのに相応しい本』として森見登美彦氏が執筆したものらしい。冒頭に『面白い本では熱中して寝ることができず、つまらない本ではそもそも読む気になれない。そこそこ面白く適度にキリの良い本が就寝に最も適している』というようなことが書かれていることから伺える。

そんなわけで、登美彦氏の要望通り、寝る前に拝読することを続けたわけなのだが、思い返せば筆者は文盲である。読もう読もうと意識は先行するも、流れるような縦文字を目で追うことも、認識した文字列を脳内で解釈することも能わず、気が付けば意識が夢中へと沈殿してしまっていた。翌朝目を覚ますといったい自分がどこまで読み進めたのかさっぱり記憶になく、結果として同じ項目を二度も三度も読み返しているようである。

 

いつかは読破したい。その思いだけは沈ませないようにしたい。

オタクと焼肉

筆者の友人にオタクは意外といない。いち大学生として学内あるいは社会的ヒエラルキーの上位に立つことを良しとする筆者は、普段パリピに擬態して生きている。しかし、女子高生を崇拝しているなどといった本心を抑圧してまで付き合う人間関係はプライベートまで至らず、筆者が誰かしらと行動するときは大抵オタクを呼ぶこととなる。すなわち、筆者の周囲には、筆者により選定されし選りすぐりのゴミオタクが侍っているわけである。

 

本日七輪を挟み筆者と対峙している彼もまたオタクである。当ブログでは『仙人と天狗と関西弁のおっさんを足して割ったようなオタク』と描写したことがあり、筆者も彼もその表現をひどく気に入っている。そんな彼は今日もまた焼肉屋に颯爽と出現しては「荒んだ人生にしたい」「論理の解体を目指したい」「楽しくない仕事をしたい」などと藪から棒に荒唐無稽な主張を振りかざす。

 

「人生をつまらなくしたい」

 

それが彼の主張らしい。凡そ大多数の人間が同意しかねるその志にどう反応すればいいのか困りものではあるが、「はぁ」と、相槌を打っておけばあとは勝手に喋りだすのがオタクである。

「俺はつまらん会社に入って、つまらん仕事をして、つまらん顔してひとり家に着いてアニメを観る人生がいい」

オタクは豚タン塩を金網にかけて言い切った。

「なんでそれがいいわけ?」

筆者の当然の疑問である。

「だからね、俺は楽しい人生を送ってる奴が嫌いなの。というか、楽しい仕事?のようなものができる気がしないわけ。だったらもう人生つまんないことだらけで埋め尽くして荒むところまで荒みたいよね」

そういうオタクの瞳は真剣そのものである。繰り返すが、彼の主張に同意できるところは一つもない。筆者は一般人類であるので、快楽を好み苦楽を避ける性質を持つ。よって日々は楽しいほうが良い。未来の快楽のためなら現在に多少の労力が必要だとしても厭わない。それがおそらく人類共通のコモンセンスであろう。しかし目の前のオタクは七輪の上の肉を摘まみ上げ飄々として言うのである。

「俺はオタクだから、陰湿な仕事場と家の往復で人生を費やしたい」

迷いのないその声に説得の余地はない。というより、オタクに対して説得行為は無意味である。リア充が対外的コミュニティの形成維持をする生き物としたら、オタクは内向的に自分の世界を構築増強する生き物である。彼らひとりひとりに自分の世界があり、その世界観に沿った行動をとる。

「オタクってほんとおもろいよなぁ~」

ネギ塩カルビを頬張る筆者もまたオタクであり、通俗的観念から大きく逸脱した内向世界を持つ。筆者は自らのことを学術的なオタクと思い込んでいる。学術的なオタクとは、悪趣味な己の世界観を正当化するために、あらゆる学術的文化的含蓄をこねくり回して詭弁を振るうオタクである。そのようなオタクが、筆者は好きである。

 

「おもろいじゃなくて、お前もオタクやろ」

「違うゴミオタクや。お前らと一緒にせんでくれ」

「お前も俺らと同じや。人生をつまらなくしようや」

 

繰り返される問答は意味を成さない。店員によって運ばれてくる動物性蛋白質のほうがよっぽど有意義である。多くの場合において、オタクと会話することに生産性は一切ない。それは、互いに自分の世界の断片を体内から取り出して投げつけ合っているからである。しかし、投げつけられた当人はまた別の世界の管理者たる創造主であり、唯一神的宗教的指導者である。ということは、オタクの問答は宗教戦争に等しいということになる。本日の主戦場は七輪。そこでは金網の戦いが行われていた。

 

「みたいなことを記事に書くんやろ?」

と訊かれたので、「気が向いたら5割くらい捏造して書く」とだけ返しておいた。